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熱血教育コラム 指南の部屋

あとがきにかえて

子どもたちにとって「学ぶ」とはなにか。カリスマ講師・ごとう先生が「教育」について、わかりやすくママたちに語ります。

後藤 武士 先生:1967年(昭和42年)岐阜県生まれ。青山学院大学法学部卒。日本全国授業ライブ「GTP」主宰として、北海道より沖縄・石垣島まで、児童、生徒、父母、講師、教師、会社員を対象に講演。また新進気鋭の若手教育評論家、最強教育指南役としても活躍中。 ⇒オフィシャルサイト ⇒後藤武士先生 著書一覧

~後藤先生メッセージ~
実現可能で、子どもの性格・適正にあった経験的な裏付けをもった学習法を指導したいと思っています。ときには厳しいことも申し上げますが、すでにご定評いただいている救いのあるアドバイスを心がけます。夢を妄想としてしまうのではなく、 数年後の姿とできるよう、一緒にがんばりましょう。

印税とならぶほどの作家へのごほうび

20150715.jpg  作家という仕事に対する一番のごほうびは印税です。でも、時としてその印税に匹敵するほどのごほうびになるものがあります。それが「あとがき」です。プロフェッショナルとして仕事を請け作品として世に出す以上、作家の打ち出す文章はドレスコードを踏まえたよそ行きのもの。すっぴんを自称した思いっきりカジュアルな文章でも、やはりむき出しの本音とは大きく異なるもの。なぜならそれは作品であり商品であるから。よく言う「チラシの裏」とはやっぱり根本的に異なるのです。

 けれどあとがきは例外です。人目にふれることからの若干の遠慮はあるものの、そこには生の思いに近い、はだけた感情があります。本来文章をつづることが好きな人種にとって、思いのままに指を踊らせて文章を打つことができるというのは、だからとんでもないごほうび。もちろん、あとがきを書くためには本編が存在しなければならないのですから、その意味でもあとがきはごほうびの要件を満たしているんですね。

キャリア・マムでの連載の思い出

  カンの鋭い方は、もうお察しでしょう。「熱血教育コラム 指南の部屋」は今回をもって終了となります。幾星霜、まさにそんな言葉にふさわしい長い連載でした。最初にお話をいただいたのは2003年前後のことだったと思います。インスタはおろか、フェイスブックもツイッターもミクシィもない。それどころかブログさえまだ日本では一般化されていないころ。ようやくマニアではなく普通の人たちがインターネットを始めだしたのがミレニアムから新世紀初頭。そんな折に、まだ掲示板と個人サイトが主流だったネット上で情報発信や提言などを行なって少しばかり人気になっていた私に、当時マムでお仕事をされていた方が声をかけてくださったのがきっかけでした。ここだけの話、じゃないな、今だから言えることですが、いわゆるギャラはありませんでした。それでも無名の人間に場を与えてくださったことに大いに感謝したものです。あのころは、まだマムのサイトも知る人ぞ知る的な存在でした。SOHOという言葉すら広く知れ渡っていなかったころですからね。インターネットを通じたビジネスは時代の先端でしたが、同時に「ほんとに大丈夫なの」と危惧されていた方も多かった時代です。ネットにカードの情報をあげることに、ほとんどの人が躊躇していた時代でした。中国や東南アジア諸国の台頭、少子高齢化社会の到来、そういったことも見通しがきく人の間ではとうに論じられていましたが、それでもまだどこかでそんな時代が来ることを実感として受け止められていた人は極めて少数でした。でも見通しは正しかったんですね。そしてそれは日本のここから先に関しても同じことがいえます。

 おっと、かたい話になってしまいました。話をこの連載に戻しましょう。マムのサイトとともにこのコーナーも何度かリニューアルされましたね。イラストやフォントや表示スタイル、以前はすごくフレンドリーだったのですが、今はしっかりした雰囲気を感じさせてくれるものになっています。これも今だから言える話で、とんでもなく苦労させられたのは、ほんの少し前まで過去の掲載文のすべてが読めてしまったこと。というのも、教育というのは極めて季節に敏感なテーマで、春には新学期、夏には夏休みの過ごし方、秋から冬には受験、と歳時記のように同じテーマがくり返されるんです。けれど読者の方々は1年ではなく、おおむね3年周期で入れかわられます。とすると前年に扱ったテーマは取りあげにくい。まして過去ログが残っているだけになおさら。もっともそれでも需要の高いテーマは取り上げざるを得なくて「読書感想文の書き方」なんて数度バージョンアップさせて取りあげたものでした。そんなことも今となってはよい思い出です。

中高生は、どんな職業にもなれる

  いよいよ冬到来、内部進学や推薦などですでに進路を決められた幸福な人たちを除くと、まさにこれからが本番。受験は運にも左右されるものですが、それでもあえてひとつ最後に伝えられることがあるとすれば、月なみな物言いですが、中高生はこれからほとんどのものになることができます。もう間にあわない職業なんて完全世襲の一部の身分に付随するものか、スポーツや芸術関係の数割のものだけです。いやそれらでもやり方次第ではどうにかなってしまうかもしれない。若さというものはとんでもない武器です。もっともそれが武器であることに持っているうちは気づくことができないという側面はありますが。お約束が通用しなくなった社会、定番の成功ルートが存在しなくなった時代、でも裏を返せば思わぬところに可能性が隠れているともいえます。

いつでもできることはいつまでもできることではない
いつでもなれるものはいつまでもなれるものではない
いつでもいけるところはいつまでもいけるところではない
いつでもあえるひとはいつまでもあえるひとではない

でも彼らにはそれがわからない
持っているものの貴重さと消費期限を知らぬ彼らに
それを教え伝えること
それが一度子どもを、少年期を、経験した
親の大人のつとめであり彼らへの最高の贈り物のひとつだと思っています。

20年近くの長きにわたり、おつきあいくださり、ありがとうございました。

             20年前の「若手」教育評論家 後藤武士

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