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熱血教育コラム 指南の部屋

子どもたちにとって「学ぶ」とはなにか。カリスマ講師・ごとう先生が「教育」について、わかりやすくママたちに語ります。

「後藤武士先生」青山学院大学法学部卒。新進気鋭の若手教育評論家として活躍中。日本全国授業ライブ「GTP」を主宰し、北海道から沖縄まで講演。

http://www.takeshigoto.com/ プロフィール

死語になった「つぶしがきく」

かつては「つぶしがきく」学部があった
  教育の現場、とくに進路において死語になったなあと思う言葉があります。それは「つぶしがきく」です。かつては専門性がより強い理系より文系、その中でも法学部や経済学部などは「つぶしがきく」学部と称されていました。実際就職先の業種・職種のバリエーションはこれらの学部が秀でていました。なかなか将来像を描けない学生、公務員だのサラリーマンだのといった漠然とした職業感しか持てなかったティーン・エイジャー、より長いモラトリアムを必要とした彼らにとってはこれらの学部は進路の決断の先送りとしてもってこいだったわけです。
 ところがもうそんな悠長な時代ではなくなってしまった。国公立の文系なぞ軒並み縮小もしくは廃部、就職活動も前倒し、どんどん勝負どころと決断の時期が早められています。四半世紀前は大学入学後も前半は一般教育を受けているだけで専門教育課程はおおむね後半の2年間だったことを思うと隔世の感があります。普通科教育重視、平均重視の日本型教育の崩壊はさらに加速をつけて進行しそうです。

今では早めの目標決定が必要に
 つぶしがきく進路が存在しなくなった以上、早めの目標決定、遅くとも高卒時までに職業をふまえたおおまかな人生設計が必要となってきます。でも、接客業と教員以外の職に携わる人と接する機会が極端に少ない彼らに、それを求めるのも酷なことです。知らないものは決めようがないのですから。
 学校現場でもキャリア教育、職業体験などの機会は増えましたが、これもどこかよそゆきな内容。それも仕方ありません。そもそも公教育というのは公平性と建前を重視して行われるものですから、そこで特定の業種や職種の暗部や恥部をさらけ出すわけにもいかない。そもそも同じ苦労でもどんな苦労はやりがいになって、どんな苦労は身体に悪影響をおよぼすほどのストレスになるかは、人によってまちまち。接客だけは死んでも嫌だなどとのたまう人もいれば、一日中誰にも会わずデスクワークなんて苦行以外の何者でもないという人もいる。だいたい集団教育というものは総論にはなじんでも各論にはなじみにくいものです。各論に関してはやはりひとりひとりが自分で対応するしかない。

職業を体験しよう
批判の多いネット社会ですが、職種や業種に関わる情報に関しては功の部分も多いといえます。なにせ情報量が半端じゃない。やり方次第では個々の企業や組織の「中の人」の声すら聞くことができるのですから、その気になれば情報はあります。適性に関しても、大学生の就職のIT化、正社員での採用への渇望もあって、以前ならよほど意識の高い学校でしか採用されていなかったような性格判断を踏まえての適性審査も、ときには無料で受けることができます。これもうまく活かしたいところです。
 でも一番大切なのはやはり自分の身体と心で体験すること。物騒な世の中ですから安全に配慮しながら行う必要はありますが、より多くの種類の人、場所、集団、趣味、教養などに触れ、せめて自分自身の好き嫌いや得手不得手くらいはしっかり把握しておきたい
 職業というのは居場所でもあります。「私の居場所がない」なんて嘆き、映画やドラマだけでなく実社会でも目や耳にすることが多くなってきました。人は健康と居場所と味方がいれば、どうにかやっていけるものです。その健康も居場所によって大きく左右される。

子どものうちに自分探しをして
早期教育の加速によってまだ自分の意志すらはっきりしないうちに始めた習い事やスポーツ、なかば強制的に入部させられ一種類のスポーツや芸術学術活動に従事させ、転部を恥とする部活動。これらはその道のプロや指導者の育成に効果を上げるとともに、集団生活への柔軟性、不条理への忍耐性、基礎体力の向上などに成果を出しています。が、一方で目前に選択をせまられず目先の収入をかせとされることのない貴重な少年期を、自分も気がつかなかった自分の特性・適性について知る機会をうばってしまっている面も否定できません。
本来子どものうちにすませておくべき「自分探し」が大人になってからも続いてしまう。ここにも、あれこれ体験しておくべき時期にやれなかったとかやらなかったことが少なからず影響していると言えるでしょう。やはり自分探しは自分でやるしかない。それも地位やお金はなくても、時間と可能性はたくさんある時期に。まだまだ先のことではありますが、そのうち「とりあえず普通科」という選択も許されない時代が来るかもしれません。職種や業種へのひと通りの知識、好き嫌いと得手不得手、少し前に流行ったコミュ力とともに、これらに関する認識の深さが今後モノを言うようになることは間違いないでしょう

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