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熱血教育コラム 指南の部屋

降ってきた言葉

子どもたちにとって「学ぶ」とはなにか。カリスマ講師・ごとう先生が「教育」について、わかりやすくママたちに語ります。

後藤 武士 先生:1967年(昭和42年)岐阜県生まれ。青山学院大学法学部卒。日本全国授業ライブ「GTP」主宰として、北海道より沖縄・石垣島まで、児童、生徒、父母、講師、教師、会社員を対象に講演。また新進気鋭の若手教育評論家、最強教育指南役としても活躍中。 ⇒オフィシャルサイト ⇒後藤武士先生 著書一覧

~後藤先生メッセージ~
実現可能で、子どもの性格・適正にあった経験的な裏付けをもった学習法を指導したいと思っています。ときには厳しいことも申し上げますが、すでにご定評いただいている救いのあるアドバイスを心がけます。夢を妄想としてしまうのではなく、 数年後の姿とできるよう、一緒にがんばりましょう。

20150715.jpg 先日、 父を亡くした。亡くなる2日前に吐血したと母から聞いてはいたが、自力で病院へ向かい、 検査の結果異常は見られず、今は元気だと聞いていたので、落ち着いてから顔を出そうと思っていたところだった。その点は悔やまれる。

 だが、幸いといってはおかしいのだが、2年前に父は誰がどう見てももうだめだろうというくらいやせ細ってしまったことがあった。その際、 息子である私と孫にあたる私の息子で手を強く握って語りかけたところ、まるで映画のような話なのだが、そこから息を吹き返した。そこから様態 は落ち着いたものの、もはや長くはあるまいと考えた私は、母や妹を誘い父を温泉旅行に連れ出した。最後の親孝行のつもりだった。行きは 何ひとつ言葉を発することなかった父だったが、軽く歩いたことがよかったのか、温泉が効いたのか、滞在中に食欲を回復、帰路では私の運 転に悪態をつくようにまでなった。その後、さらに数度、母と共に連れ出し、「他にも行きたい所はないか」と聞くと「もう、いいなあ」と 穏やかにこぼした。これが1年ほど前のことである。

 このことがあったために、私としてはまったく悔いがないといえば嘘になるが、一応の勤めは果たしたという安堵はあった。おそらく父も人生に対する極端なやり残しからくる焦燥はなかったことと思う。

いつでもできる≠いつまでもできる

 ところが、私の息子は違っていたようで、彼に溺愛されそれを自覚していたにも関わらず、高校生活の忙しさや思春期の気恥ずかしさからか、亡き父とあまり言葉を交わしていなかった。それゆえ、悔しさもあったようで、実家の庭で私とふたりになった時、珍しく涙をこぼした。その時、私は何気なくつぶやいた。ほぼ無意識のうちに。「いつでもできることはいつまでもできることじゃないからなあ」と。口にした直後、自分自身が硬直した。「そうだ、そうなのだ」と。
 いつでもできることはいつまでもできるわけではない。いつでも会える人だからといっていつまでも会えるわけではない。いつでも行ける場所はいつまでも行けるとは限らない。いつでもなれるものはいつまでもなれるものでは決してない。「いつでも」と「いつまでも」ほんのひと文字の差でしかないけれど、この差はあまりに大きい。そして私や息子を含め、多くの人がこのことに気がつかないまま人生を送り、ときに軽く悔やみときに重く後悔する。

かけがえのない10代

 この「いつでも」と「いつまでも」の差がまさにはっきり現れるのが10代、もっといえば小学校高学年から中高生にかけての時代だろう。結婚はやろうと思えば何度もできるし大学も複数回 の入学卒業は可能だが、中学や高校を複数回卒業する人はまずいない。20代にやれることの多くは30代でもできるけれど、10代となるとそうはいかない。 学問、部活、友人、集団生活、とくにお金にはならないけれど、その後の人生において経験になり財産になることの多くは10代に集中している。小学校高学年から 中高にかけては、そのときにしかできない「いつでも」できることがあまりにも多い。
 ちょっぴりほろ苦い後悔を持っている大人だからこそ、彼らにはその時にしかできないことをたくさん経験してほしい。そのために説教がましくなくお仕着せでもな い形でさりげなく10代のかけがえのなさを伝えていきたいと改めて思った春の夜だった。

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