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熱血教育コラム 指南の部屋

平成の人生設計、そして次代

子どもたちにとって「学ぶ」とはなにか。カリスマ講師・ごとう先生が「教育」について、わかりやすくママたちに語ります。

後藤 武士 先生:1967年(昭和42年)岐阜県生まれ。青山学院大学法学部卒。日本全国授業ライブ「GTP」主宰として、北海道より沖縄・石垣島まで、児童、生徒、父母、講師、教師、会社員を対象に講演。また新進気鋭の若手教育評論家、最強教育指南役としても活躍中。 ⇒オフィシャルサイト ⇒後藤武士先生 著書一覧

~後藤先生メッセージ~
実現可能で、子どもの性格・適正にあった経験的な裏付けをもった学習法を指導したいと思っています。ときには厳しいことも申し上げますが、すでにご定評いただいている救いのあるアドバイスを心がけます。夢を妄想としてしまうのではなく、 数年後の姿とできるよう、一緒にがんばりましょう。

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 昨今やや忘れられた感もあるが、今夏の陛下による生前退位のご意向を伴ったお気持ちの表明があった。漠然と抱いていた「平成もいつかは終わる」という当然の事実の再認識、「知らぬうちに平成も30年近くにおよんでいた」というあらためて驚かされた現実、私自身はもうすぐ50の大台を超える年齢にあるけれど、いわゆるアラフォー以下の年代の人にとっては「物心ついてから過ごした月日に関していえば、昭和よりも平成のほうが長くなっている」という意外な真実、お気持ちの表明をきっかけに多くの人たちがさまざまな感慨を抱かれたことと思う。

 先日からある雑誌の企画で平成についての対談をやらせていただいている。3回シリーズなのだが、すでに2回分の収録は終わった。未知の方との邂逅というのは、多くの発見をもたらせてくれるものだが、今回の対談でも大いにそれはあった。「鉄は熱いうちに打て」ではないが、この感慨を旬のうちにお伝えすべく今回の項について語りたい。

平成は激動の時代

 おひとり目の対談相手は現在大活躍中の知的な40代の女性。タレントとしてさまざまなメディアを賑わせつつ子育てにも勤しんでおられるアクティブな方である。私は、平成というのは静かなる激動の時代であったという持論を随所で披露している。戦争による価値観のパラダイムシフトなど目に見えやすい変化はないものの、日本人の生活様式の根底をゆるがすような変化の多さは昭和をしのぐと。たとえば人口減少というのは多くの戦没者を生み出した戦時中ですら経験しなかったことであるし(産めよ増やせよが国策であった)年功序列・終身雇用の崩壊、特に前者などはこの千年以上に渡って日本人にしみこんだ儒教道徳の崩壊にもつながっている。さらにいえば晩婚どころか非婚が当たり前のようになり、子をなし育てることが難事としてとらえられるようになり、核家族を通り越して単一世帯が急増し、地方の衰退とともに故郷に錦を飾るという概念も意味をなさなくなりつつある。よし悪し、好き嫌いは別に、これを激動と呼ばずして何を激動と呼ぶのか。平成は静かなる激動の時代という私の持論もあながち間違いではないとご納得いただけるのではないだろうか。

 そのような激動の時代だけに当然人生観や人生設計、いわゆる成功への方程式などにも変化が生じたのもごく当然のこと。そしてこれについて私は先述の対談相手の女性からこんな言葉をお聞きした。 「母親の世代には女の人生は良い結婚によって導かれるというひとつの成功法則があって、私はそれを信じて行動してきたのだが、姉の世代まではそれが間に合ったのに対し、私の世代ではその成功法則は完全に通用しないものとなっていた。私たちは教えられたことが通用しない世の中に放り出され、自身で模索しなければならなかった」(発言内容は筆者のまとめによる)

 まさにその通りだと感じた。ひとつ上の世代まで通用した方法論が役に立たない。勤勉実直は今でも美徳には違いないが、それだけで渡っていけるほど社会情勢は緩くない。幸い、彼女は、教えられてきたことを鵜呑みにするのではなく、変化に気がつき対応できるセンスと才覚を持ち合わせていらっしゃったからよかったのだが、誰もがそうした感覚を身につけているわけではない。ならば、親としては子どもが「言われたとおりにやってきたのに」「信じて生きてきたのに」と途方に暮れ、あまつさえ社会や世間にうらみなど抱かぬよう広くかまえて導いてやる必要があるだろう。

 とはいえ、従来の成功パターンがそのまま通用しないということは何をすればいいのかがわかりにくいということでもある。そんな中、覚えておいたほうがよいことをあえて一言で述べるなら、現在そして将来は理想的な人生設計が単一なパターンに収束することはなく、適性や能力、環境によって種々雑多であるということにつきる。一例として、なんとなくその時点で学力的に合格が可能な学校でもっとも難易度が高いところに入り、極力好成績をとって、それを元に少しでも名の通った組織への就職を求めるというパターンは、一定以上のレベルにおいては今でも有効だが、場合によってはコスト(経済的・時間的・労力的)が引きあわず、ベストの選択にはなりにくくなったということがいえる。早期のうちに適性を知り、組織名や企業名はもちろん業種でもなく、職種からマッチングを模索し、そこから逆算したプランニングをする。こうしたことが意識の高低に関わらず求められる時代となっているといえるだろう。

行動するなら若いうちから

 ふたり目の対談相手は男性アーティスト。有名ロックバンドのボーカリストだが、その楽曲のほとんどの作詞を手がけ、エッセイはもちろん小説においても大いに評価されている才能あふれる人物。あこがれの存在である彼との対談にそなえ、私は念入りに準備をしたのだが、うかつにもその折に初めて気がついたのは彼が私とひとつしか年齢が違わないということだった。アルバム、楽曲、プロジェクト、小説、エッセイ、その他さまざまな活動。これらの経歴から私は彼は見た目はもちろん私よりずっと若いのだが、実際はずっと年上だと思っていた。それがなんとたったひとつの差。彼の過ごしてこられたであろう濃密な年月と、私の年度ごとのビッグイベントさえ思い起こすに苦労するようなそれとを比較して、私はがく然としてしまった。そして改めて悟った。やはり行動するなら若いうちからだと。時流の早い現在、大器晩成、モラトリアムなどとのんびりかまえていては、あっという間に初老を迎えてしまう。若いうちなら無理もきけば失敗にも多少は温情がほどこされる。何より自分自身へのプレッシャーも違う。いつまでも本当の自分探しなぞやっている場合じゃないのだと。

早期に適性を把握しよう

 おふたりとの対談で気づかされたことはまるで接点がないようだが、実はつながっている。より早く若いうちから芽を出すこと、そのためには早期の適性把握がかかせない。そして適性を十分に把握するためにはできるだけ多くの事項に正面から向きあわねばならない。少年少女の好き嫌いは彼らの既知の概念の中でのそれにすぎない。小学生の理想の職業がユーチューバーや教員、公務員、芸能人やスポーツ選手に集中するのは、直接的間接的とわず彼らの目に触れる職業がそれらに限られているからだけのこと。営業やマーケティングや商品開発が小学生にクローズアップされることなどレアなのだからそれもうなずける。科目だって同様。数学が苦手であるというのはあくまでも現在のことにすぎない。はたして本質的に向いていないかどうかは、少なくとも複数の指導者から複数の指導法を受けたうえでなければわからない。その前提として一定期間は本気で対峙する必要があるのも言うまでもない。

 だが日本の学校教育にはその視点はほとんど見られない。典型的なのが3年間をわずかひとつの種目に費やさせる部活動。そこから培うことのできるいわゆる体育会的気質が無価値であるとは言わない。だが努力と根性、忍耐と服従、それに基礎体力だけで、安定した人生が保障される時代がすでに終わっていることはこれまでの考察からも明らかなこと。

親や保護者が子どもに機会を与えて

 学校で与えられないものは親や保護者が与えるしかない。与えられぬのならともに暗中模索するのだっていい。成功が理想であることは言うまでもないが、もし仮に失敗したとしても、盲目的に信じさせられた方法論と心中した結果でないのなら、そこには怨恨ではなく、ひとつの方法論の失敗という一例だけが残る。ならば少々の休息が冷静さを取り戻してくれれば、別の方法論でのアプローチに再度のぞむこともできよう。

 親であることの難易差はおそらく昭和のそれより現在のそれのほうが困難になったといえる。だが、学校教育を始めとする既存の教育が言ってみれば外注であることには変わりない以上、親や保護者自身が教え育てることに真摯に向き合うことを望まれる今日の姿もまた間違ってはいないのである。

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