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熱血教育コラム 指南の部屋

人生はRPG?

子どもたちにとって「学ぶ」とはなにか。カリスマ講師・ごとう先生が「教育」について、わかりやすくママたちに語ります。

後藤 武士 先生:1967年(昭和42年)岐阜県生まれ。青山学院大学法学部卒。日本全国授業ライブ「GTP」主宰として、北海道より沖縄・石垣島まで、児童、生徒、父母、講師、教師、会社員を対象に講演。また新進気鋭の若手教育評論家、最強教育指南役としても活躍中。 ⇒オフィシャルサイト ⇒後藤武士先生 著書一覧

~後藤先生メッセージ~
実現可能で、子どもの性格・適正にあった経験的な裏付けをもった学習法を指導したいと思っています。ときには厳しいことも申し上げますが、すでにご定評いただいている救いのあるアドバイスを心がけます。夢を妄想としてしまうのではなく、 数年後の姿とできるよう、一緒にがんばりましょう。

保護者がやらせたくないゲームだったRPG

20150715.jpg この夏、久々にあちらこちらで耳にした言葉がある。ドラクエ。ドラゴンクエスト、国産のRPGすなわちロールプレイングゲームの老舗タイトルだ。かつてはSMAPがCMキャラを演じていたくらいの国民的RPGなのでご存じの方が多いだろうが、名前はともかくどんな内容かはまるでわからないという方も少なからずいらっしゃるかもしれない。そこで少しゲームの内容について説明したい。
 ベースにはストーリーがある。「悪の魔王のせいで悲惨な状況に陥っている世界を勇者が救う」端的に言ってしまえばそれだけのシンプルなストーリー。その目標達成の過程で勇者は、さまざまな町や村を訪れ、フィールドでは魔物と戦い、仲間を探し、魔物を倒すための重要なアイテムを求める。こうした南総里見八犬伝型の異世界伝奇ロマンの世界を舞台にプレイヤーは主人公となって旅をしていくというのが大まかなドラクエをはじめとするRPG。
 このRPG、受験生にとっては大敵だった。なにせ時間をうばう。クリアまでにトータルで50時間前後の時間をうばわれる。やりこみ要素といわれるゲームのメインストーリーから派生するさまざまなクエストまでやろうと思えば軽くその倍は時間を費やせる。費用対効果としては同じ価格のゲームなら長く楽しめたほうが得なのだが、受験生をはじめとする学生にはそれはあてはまらない。しかもこうしたRPGは昨今でこそ、いつでもどんな場面でも中断できるものが多くなったが、かつては決まった箇所でしか中断できないものが主流だった。そのためいわゆる気休め的に取り組むことが難しかった。
 これは受験生に限ったことではないが、「失敗したらリセットボタンを押すことで安易にやり直すことができる」「主人公をはじめとする仲間たちが戦闘によって死んでしまっても簡単に生き返ってしまう」「そもそも魔物を倒すことでお金をかせぎ経験を積むというのが暴力的」などという批判もあった。そんなわけで以前はRPGは保護者にとってはあまり子どもにやらせたくないゲームだった
 もちろん今もそうした問題は変わらない。ただ、コンプガチャや課金アイテムが問題となったスマホゲームやネットに接続してリアルタイムでの対応を要求されるネトゲと呼ばれるゲームが人気を集めるようになった今、あらためてふり返ると、旧来型のRPGからも受験生が学ぶことはあったと気づかされる。「弱い敵と戦って経験値を積む→レベルが上がる→さらに強い敵が現れるフィールドへ→それらに勝つために分相応の敵と戦い経験値を積みお金をかせぎ装備を整える→強くなったのでレベルアップし次のフィールドへ」このローテーション、もちろん「指を動かしているだけで痛みや苦労を伴わない」など現実と同一視するわけにはいかないが、結構人生に近いものがある

学ぶのに適した時期というものはある

 幼児のうちにやっておきたい体験は幼児のうちに。小学校低学年で身につけておきたい能力は小学校低学年のうちに。中学校で免疫をつけておきたいものは......、すべて最もなこと。いわゆる勉強なんてものはその最も典型的なもので子どものうちは吸収も成長も早く、教えてくれる人も場所もある。中には無料の施設さえ。そして何より勉強しているだけで、ほめてもらえる。勉強することの重要性に気がついた社会人になってからではそうはいかない。「そんなことよりまず仕事」と言われることもあるだろう。そもそも学ぼうと思えばそれなりの費用もかかる。そして多くの場合それを捻出するのは自分の責任。飲み込みも遅くなっているし人前で学ぶことへの照れもある。「今さら人に聞けない」という枕詞は社会人にこそ当てはまるもの。少年期ほど学ぶに適した時期はない
 小学生なら「いいところに気がついたね」と褒めてもらえる。中学生なら「まあ隠さずにちゃんと聞けるのはいいことだけどな」などと、あきれられつつもまあ教えてもらえる。高校生になると「そんなとこからわからないのか」と。それでもまあ食い下がれば「わかったふりをしなかったことに免じて今回だけは教えてやる」なんて具合に。しかしそういうのが許されるのはここまで。社会人を待つまでもなく大学生以降は完全に知識の有無、学習履歴の多寡は自己責任。できないことや知らないことは憐憫の対象とはなっても同情の対象にはならない。
 やるべき時期をすぎると経験値を積もうにも適当な相手がいない。一撃で倒されてしまうような相手ばかり。それどころか相手をしてくれる人すら見つからないことも。武器だの防具だのといったアイテムすら手に入らない。これについてはスポーツのほうがあてはまるかも。ある程度以下の初心者むけの道具はたいてい対象年齢も低くなってしまっていたり、教室なんかも幼児から小学生あたりは選択に迷うくらい存在するのに、社会人向けとなるとガチ勢対象のものしかなく、あえて始めようとすれば相当な高額の個別対応を特別に依頼するしかなかったり。

人生はリセットボタンのないRPG

 「学び始めるのに遅すぎるという年齢はない」と言われる。それは間違ってはいない。けれど学びやすい年齢、学んだことが身につきやすい年齢、学んで身に着けたことで報われやすい年齢、というものが存在する、ということもまた綺麗事の先にある現実だ。
 人生はリセットボタンの存在しないRPG、それゆえ失敗した折の痛みも喪失感も半端ない。けれどそこには一生ものの感動や笑い、喜びもある。人生というRPGにはマニュアルも攻略本も存在しないけれど、一足先にそれを経験した人たちから助言を受けることはできる。ネタバレにならない程度、人生を作業にしてしまわぬ程度にヒントを与え道筋を照らしてやること、歯がゆくてもそのあたりが先人としてできる最善の手立てなのかもしれない。

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