• ようこそ ゲストさん
  1. HOME
  2. イベント&セミナー
  3. 届かなかったラヴレター2025 受賞作品発表:審査員賞
届かなかったラヴレター2025受賞作品発表

審査員賞

クミコ 賞
賞品「ニッポンシャンソンフェス
ティバル2025」ペアご招待

関根 トミ子さん

(埼玉県)

間に合わなかった
古希のラヴレター

お父さん、もうすぐ70歳の誕生日だね。
「古希」のお祝いだから、四人の子どもたち家族と一緒にこっそりお祝い会を計画しています。会場や会計は長女の尚子と長男の栄員、篤史と綾子たちは出し物、特に孫たちはプログラムを手作りしています。
「きっと、じいじは驚くね」
「楽しみだねえ!」
子どもたち全員との初企画は家族の絆を感じます。きっとあなたはびっくりして幸せ一杯の気持ちで照れて・・・そんな笑顔を思い浮かべています。15人のお祝い会!!!!
私の役割は、40年共に歩いてきたあなたへのラヴレター♡ 出会った頃とは違う感謝の思いがあふれた40年分のラヴレターです。
普段でも「お母さん、愛しているよ」と後から抱きしめてくれるあなた。照れくさいよ。
「いやね、すっかりおばあちゃんなのに」
「あれ、23歳じゃなかったっけ?」
ふざけっこが好きで、甘えん坊のあなたが好きだったから結婚したのかな(笑) 7歳もあなたより年上で、2人の子持ちの女にプロポーズしたあなた。周囲の反対に毅然とした態度で守ってくれたとき「男」の強さを感じました。
その後、2人のあなたの子どもも生まれて、 家族6人、にぎやかでしたね。どの子にも分けへだてなく愛情を注いでくれました。どんなに感謝しているか知れません。そして、二人で頑張ってきた自営業、初めは不安でよく泣きべそをかいたりして...
今年は結婚40年目、あなたは古希、すっかり頭はハゲたけど今のあなたが一番好き! 子どもたちも独立し、これからが私たちの本当の青春ね、長生きしましょうね!!LOVE♡
※(お祝いのひと月前にあなたは急死。私は一ヵ月間声を失った。読めなかったこのラヴレターをお墓に入れます。読んでね)

  • 歌手クミコ

    紅白出場経験もある、日本を代表するシャンソン歌手。様々なメディアへの出演、全国各地でのコンサートなど各方面で精力的に活動中。

  • 昨年、私も古希を迎えました。
    家族は老いた両親だけで、このかたのような賑やかさはありません。
    父は施設で母とは別々に暮らしていますが、それぞれの夢の中で逢っているようです。
    人が出逢い、別れることはどうにもならないことですが、今生でのご縁と幸せの証に、こうしてラブレターを送られたことに胸が熱くなりました。
    それが、もう読んではもらえなくとも、想いはしっかりと天に届いたことでしょう。
    ご家族のこれからの幸せを祈ります。
沙央 くらま 賞
賞品沙央くらま監修 まつ毛美容液
「美uRA(ビウラ)」

彩夏さん

(和歌山県)

雲に生まれ変わった
お父さんへ。

はじめに。もうすぐ私は20歳になります。そんな私から、お父さんに大好きを伝えます。お父さんが亡くなってからだいぶ経つね。
お父さんにわたしが大人になった姿を見せたかったな。寂しいな。
お父さんって、どんな匂いなの?どんな姿なの?どんな色なの?どんな声だったの? 私はあまりお父さんのことを知らない。だって、お父さんが亡くなった時、私はまだ赤ちゃんだったから。小学校に上がってから、ふと私はお父さんが居ないことに気になってお母さんに聞いたことがあった。そしたらお母さんは全部教えてくれたよ。タバコの吸いすぎでガンになって、言う事聞かずに亡くなったって。
ちゃんと言う事聞いとけば、私の大人になった姿を見れたのに。運動会で、苦手なマラソンを頑張って走ってる姿も見せたかったな。
お父さんが亡くなってから、ここには書ききれないくらい色んなことがありました。もう数え切れないほどの出来事が。それから、私の名前を考えてくれたの、お父さんだって聞いたよ。お父さんありがとう。
私は『彩夏』という名前が大好きです。胸を張って大好きって、心の底から言えるよ。お父さんとお母さんが出会ってくれたから、今、私はここにいます。本当にありがとう。こんな気持ち、今しか綴れない気がするから。お父さん、ずっとこれからも空で見守っててね。

  • 俳優沙央 くらま

    元宝塚歌劇団専科男役、高い演技力と歌唱力を持った男役スターとして活躍。現在はテレビ、映画、舞台等で多才派女優として活躍中。

  • まず、皆さま素晴らしいですね。わたしが初めて大好きな身近なおじいちゃんが亡くなったときに、亡くなったと聞いた瞬間何をしたらこの気持ちが消化できるかわからずに手紙を書いてポケットに入れたのを覚えています。これがわたしの届かなかったラヴレターです。
    今回皆様のラヴレター。どれも美しく胸打たれるお手紙でした。
    あまりに素晴らしく選べなかったため、わたしが特別なものを感じたこのお手紙は、共感する部分があったという理由から選ばせていただきます。
    お父様を赤ちゃんの時に亡くされ、お父様の香りや肌も感じていないけれど、20歳になりやっとお父様に想いを綴れたこと。とても素敵でした。
    素直な言葉で書いているお手紙。
    また空からと、タイトルを少し表現を変えているセンスも好きでした。
    また、子供が生まれた私にとって、この方がどんな想いで人生を生き、どれほど沢山の時間をお父様に伝えたり過ごしたりしたかっただろうか、、と感じただけでも胸がしめつけられました。
    そしてまさかの、、漢字はちがいますが、わたしと同じお名前なのかな。あやかさん。
    いまわたしが書くとしたらきっと宝塚在団中に肝臓ガンで亡くなった父へ同じように父へ書いていたなと感じます。
    お手紙は物理的に届かずとも、想いはきっと届いていると感じます。
    沢山のお手紙を読みながら、やはり素直な言葉って素晴らしいなと感じました。
新川 てるえ 賞
賞品マンガ
「子連れ離婚を考えたときに読む本」
新川 てるえ・著
日東書院本社

つみきさん

(神奈川県)

親愛なるお母さんへ

お母さんは、あの夏のことを覚えていますか。私が15歳の夏、家のクーラーが壊れた日。風のない夜、窓を全開にしても熱は逃げず、畳の上に寝転んで、扇風機の羽音を聞いていましたね。「暑いねえ」と言うと、お母さんは「涼しい気分になる話をしよう」と言いました。
話してくれたのは、お母さんが子どもの頃に通った川の話。森の奥の冷たい川で、裸足になって石の上をぴょんぴょん渡ったこと。川の水は透き通り、足元を覗けば自分の足がゆらゆら揺れて見えたこと。深いところは、一瞬で鳥肌が立つほど冷たかったこと。
その話を聞いていると、暑さなんてすっかり忘れました。まるで、自分もその川の水に足をつけたような気がして。「行ってみたいな」と言うと、お母さんは「いつかね」と笑いました。でも、それからすぐに忙しくなって、あの川に行く機会はなく、私は大人になりました。
あの夏のことを、ふと思い出します。夜風の生ぬるさや、遠くで鳴く虫の声。お母さんの話を聞いて、私はずっと、あの川を想像していました。見たことのない景色なのに、まるで自分の記憶の中にあるみたいに。
今年の夏、私はひとりでその川を探しに行きました。地図もなく、お母さんの言葉だけを頼りに。村の人に尋ねながら森の奥へ進むと、本当にありました。お母さんの話のままの、透き通った水の川が。私は裸足になって石の上を渡り、深いところに足を踏み入れました。一瞬で鳥肌が立つほど冷たかった。 「本当にあったんだね」と、思わず口にすると、風がそよいで木の葉が揺れました。お母さん、もしもどこかで私の言葉を聞いてくれているなら、伝えたいことがあります。
あのときの話をしてくれて、ありがとう。あの夜、私はたしかにお母さんと一緒に、あの川へ行っていたんだと思います。そして今、私は本当にそこへ辿り着きました。
お母さんがくれた物語の続きを、私は生きていきます。

  • 作家・家庭問題カウンセラー新川 てるえ

    3度の結婚、離婚、再婚経験を生かしコメンテーター・家庭問題カウンセラーとして雑誌、テレビなどに多数出演。

  • 沢山の素晴らしい作品の中から選ぶのは大変でしたが、素直に心に残った作品がこちらでした。暑い夏の情景が「風のない夜」「畳」「扇風機」で上手に表現されていて、そんな夜のお母さんとの思い出話。お母さんの思い出が最後には自分の思い出になって「お母さんのくれた物語の続きを私は生きています」というしめくくりも奇麗で感動的でした。
浜田 敬子 賞
賞品「働く女子と罪悪感」
浜田敬子・著
(集英社)

みほさん

(東京都)

天国のおばあちゃん

おばあちゃん、今日も天国で見守ってくれていますか? 両親共働きでいつもおばあちゃんに育ててもらっていたね。 いつも私に「みほちゃんはおばあちゃんの太陽や」と言ってくれ、 大切に大切に育ててもらったこと感謝しています。
一緒にスーパーに行った帰りは私が荷物を持つのをお手伝いして おばあちゃんの役に立てていることが嬉しかったよ。専業主婦のおばあちゃんの収入は自宅で取れた野菜を地元の市場で売って少しのお小遣いにしていた。おじいちゃんの収入でも十分な生活はできたけれど、おばあちゃんにとっては自力で収入を得る手段として 必要なことだったのかなと今では思います。特に秋の季節は臭い銀杏を収穫しては市場でお金にして 私に手袋やマフラーを買ってくれた。自分のお金なのにいつも家族のことばかり優先してくれた。
大学生になり一人暮らしを始めてからは年に数回帰省する程度。社会人になって10年ほど経ち、数日後に私の誕生日を控えた日だった。母からもうおばあちゃんが長くはないことを知らされた。 おばあちゃんは私の誕生日の翌日に亡くなった。
おばあちゃん、私の誕生日が悲しい記憶にならないよう 1日長く頑張って生きてくれたんだな、と思って号泣した。それ以来、毎年誕生日は自分が生まれたことに感謝し、 翌日のおばあちゃんの命日には育ててくれたことに感謝しているよ。おばあちゃんのおかげでどちらも暖かい日になっています。

私も結婚して母になり毎日を生きています。思い通りにならなくてイライラしてしまったり子供を怒って反省する日々。まだまだ修行中。おばあちゃんは、いつもニコニコ微笑んでくれていた。私もおばあちゃんのような人になりたいです。これからも人生の先輩として天国から見守っていてね。

  • ジャーナリスト浜田 敬子

    ジャーナリスト。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーターとしても活躍中。

  • 私自身、幼い娘を私の母(娘の祖母)に預けて働いていたので、この方のおばあちゃんへの想い、そしておばあちゃんのお孫さんに対する愛情に胸が詰まりました。共働きだとどうしても子どもと接する時間が短くなり、そのことに罪悪感も抱きがちになるのですが、私の娘のこんなにもおばあちゃんに愛されていたのかな、と思って。私も母に対して改めて感謝の気持ちが募りました。
    なかなか直接口に出して言えない感謝の言葉ですが、私も娘もまだ生きている間に私の母(おばあちゃん)にきちんと伝えなくてはとも思いました。
藤咲 あゆな 賞
賞品「源氏物語」紫式部・作/藤咲あゆな・
訳/マルイノ・絵
(集英社みらい文庫)
「小説 家政夫のナギサさん」上巻・下巻
藤咲あゆな・著/四ツ原フリコ・原作
(セットハーパーコリンズ・ジャパン)

きなさん

(富山県)

きなからマサへ

今、あなたはリビングで娘と大笑いしてる。 幸せだから、渡さない。幸せだから、一人でかみしめる恋文、書きます。 35歳の頃、まだ独身だった私は、ある日両親に2つの電話番号を示され「どちらかを選んで掛けなさい」と強い口調で命令されました。迷った末、右側を選んで繋がった先にあなたとの縁がありました。田舎のことで、後妻の縁談話さえあった自分が3歳年下のこんな優しい男性と出会えるなんて、思ってもみなかった。結婚したときから、私は本名ではなく「きな」とあなたに呼ばれるようになりました。きなこ餅が好きだから。ほんまかいな。
私はあなたのサシスセソの発音が好き。私のことを何にも考えていないときの素の横顔が好き。時々、気持ちが盛り上がって泣きながら話すところが好き。びっくりしたとき、細い目が一瞬大きくなるのが好き。文句を言いつつ、最後は「俺も甘いなあ」と言いながらワガママを聞いてくれるのが好き。
83歳の10月10日に眠るように死ぬんだと言うあなた。それを聞いたときから、取り残されたような気持ちになり、少し、いや、かなり寂しかった。もしも、もっと長生きしてほしいとお願いしたら「俺も甘いなあ」と照れ笑いしながら、聞いてくれますか?

  • 脚本家・ジュニアノベル作家藤咲 あゆな

    1994年、集英社コバルト・ノベル大賞読者大賞を受賞。ドラマCDやテレビアニメの脚本なども手がける。

  • 亡くなった方へのラヴレターが多い中、まだ存命中の夫へのラヴレターという点が私の興味を引きました。(ラヴレターを)幸せだから渡さない。という明確な理由も素敵ですが、電話番号の二択で結婚相手を選んだというのは運命的ですね。末永くお幸せに!
三井 昌志 賞
賞品「Colorful Life 幸せな色を探して」
三井昌志・著
日経ナショナルジオグラフィック社

田中 真子さん

(東京都)

鳥山明先生へ

小学生の頃、先生の作品が大好きでした。先生には沢山のファンレターが届くだろうから、私からの一通なんて印象に残らないだろうとか、まず編集者さんが目を通すのかな、こんなこと書いてと笑われないかなとか、そんなことを考えてしまう子供だったので、結局一度も先生に手紙を出すことはできませんでした。
だけど去年、先生が亡くなったと知って、とてもとても後悔しました。たとえ自己満足でもいいから、私は先生の作品が大好きだったんだよと伝えれば良かったって。毎週月曜日の『ジャンプ』の発売日が楽しみで、次はどうなるんだろうと、たった七日間が待ち切れなくて、月曜日になると早起きして、学校に行く前にコンビニに『ジャンプ』を買いに走りましたと伝えれば良かった。やっと全巻そろえたコミックが本棚に入り切らなくて、母が玄関の外に出していたら廃品回収の車に持っていかれてしまって、泣いて母を責めましたと伝えれば良かった。明るくて、強くて決して諦めない主人公に沢山、沢山元気をもらいましたと伝えれば良かった。今、私が年に三百冊以上の本を読むのも、今でも漫画が大好きなのも、全ては先生の作品に出会えたおかげです。『ドラゴンボール』は私が人生で初めて好きになった作品でした。
漫画や小説が好きと言うと、暗いとか真面目、オタクと思われがちですが、大好きな作品の発売日を待つ日々は私にとって、とても楽しく大切な日々です。私は周りの人と比べると多くの本を読んでいますが、それでもまだまだ出会えていない本が沢山あって、そんな中で先生の作品に出会えたことを心から幸せに思います。36年がたった今でも、悟空や悟飯は色褪せることなく、私の心の中で生きています。小学生だった私に漫画を、本を愛する気持ちを教えて下さって、本当にありがとうございました。

  • 写真家三井 昌志

    写真家。「日経ナショナルジオグラフィック写真賞2018」など、旅の経験を生かしたフォトエッセイの執筆や講演活動を精力的に行う。

  • おそらく世界中にいる何百万人単位の鳥山明ファンが、先生の訃報を嘆き悲しんだことでしょう。たとえ作者が亡くなっても、彼が生み出したキャラクターや物語は、それぞれの読者の心の中にずっと生き続けている。愛され続けている。それって本当にすごいことですよね。そしてあなたの想いは、きっと天国にいる鳥山明先生にも届いていると思います。
     


  • 届かなかったラヴレター実行委員会
    株式会社キャリア・マム

LPP2502-011(20270228)

ページの先頭へ