

(栃木県)
仕事の関係で、床屋さんにおじゃまする機会があった。ドアを開けた瞬間、思わず「あ、床屋さんの匂いがする」と漏れた。わざわざ口にすることでもないのだけれど、ポロッとこぼれた一言だった。私の記憶が、一気に30年前にタイムスリップした。
その昔、就寝前の私の隣で、本の読み聞かせをしてくれたのは父親だった。その頃、両親とも夜の時間帯に仕事をしていた。彼は、仕事に行く前のわずかな時間を私に注ぐ。
「今日はこれ読んで」
毛布をかぶって大人しくすると、お話が始まる。色々な昔ばなしが入った一冊の本。それが、当時の私のお気に入り。早く寝かしつけたかったであろう彼の気持ちとは裏腹に、ページが進めば進むほど「もっと読んで。ねぇ、あと少しだけ」こんな調子の私。なかなか眠らない私の横で、結局いつも30分くらいは本を読んでくれる。
「さぁ、ほんとにもう寝なさい。出かけるから、パパは」
そう言って、電気を消し部屋を出てゆく。オレンジ色の薄明りの中で、ぎゅっと目を閉じる。パパとママのいない夜。さっきまで隣にいたパパのポマードの香りが、そっと私の心を包み込む。パパがそばにいる、そんな気がしてくる。
いま思えば、私は、結構パパっ子だったのかもしれない。父親が髪の毛を切りに行くときには、一緒に付いていった。まだ私が文字も読めない頃だったから、床屋さんにある大量の漫画は何の役にも立たなかった。けれど、椅子に座って、遠くからパパを眺めているのが楽しかった。頭を洗ってもらい、髪が短くなり、髭を剃ってツルツルなお顔になったパパ。なんだか気持ちよさそう。
私にとって、床屋さんは、美容室とはちょっと違う特別な空間。普段、滅多におじゃますることのない場所だからかな。いや、それだけではない。ポマードの香りが、ふと私に思い出を連れてくる。今は隣にいない父親との一瞬の触れ合いだった。
(東京都)
2025年5月5日、母が旅立ちました。
もう痛みから解放され、身体は楽になったね。私も少しだけホッとしています。でも、母の日に花を贈れず、習慣だったLINEを送れなくなった朝、寂しさが込み上げてきました。
小さい頃 ひよこを無責任に飼って困らせたこと、明星を勝手に捨てられて喧嘩したこと、歌手のオーディション通知を捨てられて怒ったこと。たくさんぶつかったけれど、応援団や学級委員を頑張った私を褒めてくれたことも覚えています。 闘病生活は本当に辛かったね。抜ける髪、壊れる爪や肌。それでも「前を向こう」と語り合ったあの時間、忘れません。あなたの笑顔に、何度も救われました。食べたくないのに「甘いものが食べたい」と言ってくれてありがとう。私のためだったと、今はわかります。
最後に編んでくれた椅子カバー、宝物です。思い出すのは幼い頃より、闘病中に交わした言葉や時間です。あなたが生きたように、私もこの小さな身体を大切に使って、人の役に立ちたい。
もう「お肉食べなさい」と笑われることもないけれど、私の心には、今もあなたの声が生きています。 お母さん、ありがとう。寂しいです。
母への深い感謝と喪失の痛みが静かに溶け合う手紙です。悲しみの中にも優しさがあり、母の生き方を受け継ごうとする強さが伝わってきました。闘病の日々を共に過ごした記憶が、哀しみを超えて「生きる力」に変わっていく過程が胸に刺さる作品でした。
(大阪府)
拝啓 風が冷たくなってきたね。そっちはどうかな。
君がいない毎日にも、少しずつ慣れてきたよ。もう4年になるんだね。早いなあ。
君が旅立ってから、僕は心も体も弱ってしまってね。あの頃は、もっと優しくすればよかった、もっとちゃんと君のそばにいればよかったって、後悔ばかりの日々だった。
そんな時、加奈が君の「エンディングノート」を見つけてくれたんだ。 そこには、震えるような文字で、こう綴られていたね。
「もし生まれ変わっても、また同じ自分になりたい。そして、また同じ人と結婚したい」
読んだ瞬間、涙が止まらなかった。僕なんかで、本当にそう思ってくれていたのかって。 信じられなくて加奈に聞いたら、「お母さん、お父さんのこと、本当に感謝してたよ」と教えてくれた。君は、僕を恨んでなんかいなかったんだね。
その言葉に、どれだけ救われたか。
あの日から、僕は生まれ変わったんだ。君の分も胸に抱いて、残りの人生を精一杯生きようって。不思議だね、そう決めたら、あれほど辛かった体もすっかり軽くなったんだよ。
最近、エッセイを書き始めたんだ。この手紙も、天国にいる君への、僕からのラブレターのつもりだよ。僕もね、いつか君のもとへ行く時のために、加奈へエンディングノートを準備しておくことにしたんだ。そっちへ行ったら、また二人で君の好きな旅行をしよう。 天国にも、きっと素敵な場所がたくさんあるだろう?
だから、もう少しだけ、そこで待っていておくれ。また会える日を、楽しみにしているよ。
敬具
十一月二十五日
一郎
奈美恵へ
後悔から感謝へ、絶望から希望へと変わる心の軌跡が丁寧に描かれています。 「また同じ人と結婚したい」という一文が、夫婦の絆の深さを象徴し、人生の終わりと始まりを優しくつなぐような温もりを感じました。
(大阪府)
じいちゃん、ごめん。本当にごめん。
十数年前、高校受験を控えていた僕にじいちゃんは自分が愛用していた腕時計をもってきてくれたね。「試験の時はこれを使ったらいい」と。足が悪いのに三十分もかけて。
でも僕は「こんな古い時計いらん」と投げ返したんだ。その時、じいちゃんはとても驚き、そして泣きそうな顔をしたね。あんな顔を見たのは初めてだった。
「そうだなあ。今の子はこんな古い時計はいらんよなあ」そう言って帰っていった。その背中はとても小さく見えた。「悪いことをした」僕は後悔したが、後を追うことはしなかった。
初めての受験、伸びぬ成績...僕は不安でイライラしていたんだ。でも、そんなことは言い訳にならない。ごめん、本当にごめん。幸い、僕は志望校に合格した。じいちゃんは自分のこと以上に喜んでくれたね。
でも、それからまもなくじいちゃんは持病が悪化して入院した。病状はどんどん悪くなり、その身体は急速に小さくなっていった。
ある時、じいちゃんの枕元にあの時の腕時計があるのに気がついた。それを握りしめて僕はボロボロ涙を流しながら 「じいちゃん、ごめん。どうか良くなってくれ。もう一度笑ってくれ」と全身全霊で祈り続けたよ。願いかなわず、じいちゃんは桜満開の四月の朝、旅立っていったね。ほとんど意識がないまま。僕は「ごめん」と伝えられなかった。
あの時計は今も正確に時を刻む。僕はそれを握りしめては心に誓うんだ。
「じいちゃん、僕の目標はじいちゃんだ。でっかい心を持ち、誰にでも笑顔で優しい人間になるよ」と。
深い後悔と愛情が交錯する、孫から祖父への罪滅ぼしと誓いの物語です。若さゆえの未熟さと、取り返しのつかない別れが生む痛みが真っすぐに伝わります。投げ返した腕時計が象徴となり、「時」と「命」が静かに重なり、亡き祖父の優しさが今も心を導いていることが感じられました。
(三重県)
お久しぶりです、トラ子ちゃん。トラ子ちゃんがお空へ旅立ってからもう1年が経つみたいです。お空の上はどうですか?快適かな?私は今でも、あなたがこの世にはいないことが信じられません。あの日、鼓動が止まる瞬間をこの耳で聞いたのに、骨になったあなたをこの目で見たのに、まだどこかであなたが生きているような気がします。
あなたに1つだけ、聞いてみたいことがあります。「15年間、あなたは幸せでしたか?」寒い寒い冬の夜、あなたは我が家にやってきました。私にとっては初めての猫、最初はどう接すれば良いかわからず、小さなあなたから逃げてばかりでした。段々と慣れてきて触れられるようになり、抱っこもできるようになって、やがてあなたはかけがえのない家族になっていました。あなたと一緒に大人になった10数年は何よりも幸せな日々でした。
だけど、あなたは私よりも早足で生きていて、いつの間にかおばあちゃんになっていました。足腰が弱くなって、食べる量も減ってきて、刻一刻とあなたが旅立つ準備をしているのが嫌でも伝わってきました。そんなとき、「トラ子ちゃんは幸せだったのかな?」と考えるようになりました。長い年月を共にして、私はあなたの心をわかった気になっていました。だけど、一度も言葉を交わすことは出来なかった。伝えることはできても、伝え合うことはできなかった。私は気がかりなのです。私が貰った分の幸せを、私はあなたに渡せていたのだろうか。
だから、せめて私はあなたと生きた日々を誇りに生きていきたいと思います。トラ子ちゃんという優しく、愛らしく、最高の猫の気高き猫生(にゃんせい)に乾杯!このお手紙の返事は、いつの日か天国で教えてください。それまでゆっくりと、のんびりと待っていてね。気が向いたら、虹の麓まで迎えに来てね。それじゃあ、またね。大好きなトラ子ちゃん。
「伝えることはできても、伝え合うことはできなかった」という言葉が心に残り、トラ子ちゃんと作者との関係の儚さと尊さを見事に表しています。「幸せだった?」という問いかけに込められた想いは、飼い主さんとの深い愛の証。言葉を交わせなかった分、心で通じ合っていた絆の温かさが伝わってきた作品でした。


LPP2502-011(20270228)

香りをきっかけに、父との温かい思い出が蘇る丁寧に描かれた作品です。床屋さんという日常の一瞬が、幼い頃の父との時間と結びつき、懐かしさと愛情が静かに胸に響きます。家族との何気ない触れ合いの尊さが優しく伝わって来る作品と感じました。読み終えたあと、自分にとっての「懐かしい匂い」を探したくなるような、優しく切ない余韻が残ります。